近未来政治研究会を解散

2024年01月25日


 25日(木)、政策集団「近未来政治研究会」(森山派)の総会を開催し、森山会長が政策集団を解散することを表明しました。メンバーの7人は会長の方針に賛同し、近未来政治研究会の歴史は幕を閉じることになりました。ただ解散をすると、会計処理などの事務処理を30日以内に届け出ることが政治資金規正法で定められているため、事務作業の時間等を見極めながら、正式な解散の時期については、森山会長に一任することにしました。

会長の挨拶に緊張の面持ち】
 この日はいつもより45分早い11時15分、いつもの例会会場にメンバー全員が顔を揃えました。皆さん緊張の面持ちでした。森山会長はやや遅れて到着されました。
森山会長は、
「自民党の政治刷新本部の中間報告書も明らかになってきた。それによると派閥に関しては資金集めのパーティーの在り方などが問題となっている。わがグループは政策集団として歩んできた。特に《成長》《地方》《財政》《憲法改正》をテーマとして研鑽を積んできた。我々が目指してきたテーマは、現在の日本にとって重要であることに変わりはない。一方で2回の政治資金パーティーも開催してきた。このため国民の皆様には『政策集団』としてやってきたことと、いわゆる『派閥』の仕分けがなかなか理解し難い現状になっている。政策集団として、今のまま続けることは考え直した方がいい。断腸の思いではあるがここは解散し国民の信頼を取り戻すことに全力を傾けよう」と述べられました。

解散に全員一致で賛同
 その後、それぞれが自らの考えを述べ、最終的には全員一致で解散することに賛同しました。自民党が皆様から不信感を持たれている以上、一人一人が今後どのような政治行動をしていくか熟慮しよう、と申し合わせ会合を終えました。その後、森山会長と私が記者会見を行い、解散に至った経緯とこの日の会長の挨拶内容とメンバーの意見などについて述べました。

25年前37人で発足の「近未来政治研究会」
 近未来政治研究会は平成10年(1998年)、山崎拓先生によって創設されました。設立時のメンバーは37人でした。甘利明元幹事長や渡海紀三朗現政調会長、俳優から衆議院議員になった森田健作氏ら、そうそうたるメンバーが名を連ねておられました。その後、山崎会長の引退とともに石原伸晃会長に引き継がれ、そして令和2年の12月に森山裕会長が就任されました。その時、森山体制のスタートに当たって、私が政策集団として何を目指していくのかを明確にすべきであると主張し、「近未来政治研究会」のテーマを「成長」「地方」「財政」「憲法」として掲げ、新体制スタートに当たっての趣意書を私が中心となり書き上げました。

創設者も解散に賛同
 この日はそのスタート時の趣意書もメンバーと記者団に配布しました。創設者の山崎拓先生もこの日同席されており、私が発言を求めると「寂しい感じはするが異論はない。現在の政治情勢の中での判断を了としたい。潔く解散して今後自民党の立ち直りを期待する」と明確に述べられました。

常に国民の皆さんのために何をなすべきかを考えよう
 毎週木曜日の正午から、昼食をとりながら様々な事を論議し、意見を戦わせて来た政策集団「近未来政治研究会」はこの日が最後となりました。事務総長として進行役を務めてきた私は「一人一人がしっかりと今後の自民党の事を考えていこう。いずれ何か政策を実行しようとするときは、一人ではできないので政策ごとに協力し合う事も考えよう。私たちは国民の皆さんのために何をすべきかという事を常に考え、政治に携わるものとしての職責を果たしていこうではないか」と結びました。
写真は「近未来政治研究会」解散決定の後、記者会見する森山会長と私