能登半島被災地、2度目の視察

2024年02月05日


 能登半島地震の被災地、輪島市まで陸路で行けるようになり、4日(日)、石川県の馳知事も輪島入りするという事で、急遽知事とともに輪島市を中心に被災地を視察しました。
視察が決定したのが、熊本に帰る直前の2日金曜日の夕刻です。3日(土)は地元で様々な日程が組まれていたのですが、午後4時までの行事には出席し、後はキャンセルして午後5時45分の熊本空港発で羽田空に向かい、羽田から石川小松空港に飛び、深夜に金沢市内のホテルに到着し、翌午前5時50分に輪島市に向けて出発しました。金沢・輪島市間は100㎞弱ですが、道路事情を考えて4時間の移動時間を取りました。

損傷漁船の調査・移動・修理
 まず視察したのは輪島港です。到着したのが午前10時前、150隻ほどの漁船が動けずに停泊している港湾内を見て回りました。漁船は傾いているもの、一見無傷の様なものまで様々でした。どの漁船がどの程度の被害を受けているか、船底から調査しなければ、わからないという事でした。更に調査した後は、修理が必要な漁船は移動のためにサルベージ船でつり上げて移動、そうして修理ドックへの曳航などをしなければならないという事でした。

若者が漁業を再開できるように
 漁業関連施設の荷捌き所、製氷所、給油所、岸壁など全てが亀裂、隆起と陥没による段差発生、建物と地下タンクの損傷などで漁港として全く機能できない状態であることが分かりました。 その後、港湾内の事務所で、馳知事とともに地元の漁業協同組合の組合長さんや輪島市長さんらと意見交換をしました。
「輪島は漁業で成り立っている町である。若者の漁業者も多い。彼らがもし輪島市から出て行ったら輪島市は賑わいが無くなる。一日も早い漁業再開が出来るようにして欲しい」とそれぞれが訴えられました。

スピード感をもって工程表をつくる
 私は「実情は十分理解出来た。まずは漁船の被害の程度の調査、そしてサルベージを使った移動、更に仮の岸壁や他の港への曳航と係留などをしなくてはならない。これら一連の作業に国は県と連携して万全を期して行う。そして、その工程表もスピード感をもって作りたい」と申し上げました。

「JAのと」で意見交換
 続いて同市の地滑り現場を視察、国が直轄代行で復旧の工事をする現場であるため、その方法について北陸農政局の職員から説明を受けました。
その後、鳳珠郡穴水町に移動、「JAのと」の事務所で地元の2つの農協の組合長さん、耕種農家、畜産農家の方々の要望と意見を聴きました。この場でも馳知事が同席され、国の現地対策本部長である古賀防災担当副大臣も合流されました。

農家の切実な声
 この場でも漁協と同様に「一日も早く生業の再開がしたい。そのためには農業機械、農業倉庫をはじめとする農業関連施設などの復旧が前提になる。そのための補助を充実して欲しい。現状では再開は厳しい。そして最終的には以前より多くの収穫や生産高が上がるような中山間地の夢ある農業にしていきたい」と将来への希望も込めて切々と訴えられました。農家の切実さが伝わってきました。

熊本地震の復興事例を紹介
 私は、8年前の熊本地震の後、それぞれの農家、酪農家が復活した事例を挙げ、その時の国と県の支援事業を紹介しながら「強い気持ちをもって必ず復興させよう。そのために国は支援パッケージを作成した。あらゆる復旧のための事業に適用できるよう努力する。どのような事でも個別に相談して欲しい」と皆さんとともに歩くことを誓いました。

親子3代の酪農・畜産農家
 最後は酪農と畜産を両方経営している牧場にお邪魔しました。親子3世代で酪農と肉牛の繁殖から肥育までの一貫経営を実践しておられました。おじいさんの代から酪農・畜産を経営されているという事で4代続いた畜産・酪農家でした。今回の震災でこの経営を途絶えさせるようなことがあってはいけない、と強く感じました。

 皆さんと直にお会いし、お話を聴くと、また、これまで気付かなかったことに気づかされます。急遽の視察でしたが、中身の濃い、そして改めて復旧と復興を果たさなくてはならないという責務を感じた一日でした。
 帰りは北陸新幹線。東京駅に着いたのが午後8時半でした。なるべく早く、もう一度現地を訪れたい、と思いました。
写真は輪島港で漁業者の方から実情を聴く