「鎌倉殿の13人」後の北条氏滅亡に学ぶ

2022年09月09日

NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は面白く、ほとんど見ています。しかし、最終的に北条氏が権勢をふるった鎌倉幕府が何故滅んだかは、教科書ではあまり教わりませんでした。後醍醐天皇と足利尊氏、新田義貞らの御家人が手を組み、幕府を滅ぼし短期間ながら天皇親政、いわゆる建武の新政が行われたことくらいまでの知識でした。その後、南北朝に天皇が分かれる中、室町幕府が誕生し、3代将軍足利義満までは幕府の機能を果たしていたものの、後は軟弱な権力で結局戦乱の時代に入り、国が落ち着くのが徳川家康の江戸幕府誕生まで待たなくてはならなかった、というこの期間の政治が全く見えて来ませんでした。

 そこで少し本などを読んでみましたが、政治の混乱の原型が北条末期にあることもある程度理解出来ました。
 1274年(文永の役)、1281年(弘安の役)の2度にわたってモンゴル帝国の元が日本へ来襲します。我が国は総力を挙げて武士である御家人に国防を命じ、多くの御家人たちが九州北部や山口に向かいます。台風上陸もあり元は引き揚げますが、防衛で疲弊した幕府からの御家人に対する恩賞はありません。それどころか3度目の来襲に備え、当番制で北部九州の守りに赴かなくてはなりませんでした。生活は厳しく、国防の任務を負わされる御家人の不満は高まり、その不満を後醍醐天皇がうまく利用して鎌倉幕府を滅亡へと導いたようです。

 コロナによる経済の停滞後、ロシアのウクライナへの侵略によって引き起こされた戦争で、世界が疲弊しています。加えて、ウクライナと類似した立ち位置にある台湾の「台湾有事」が考えられ、我が国の国防予算を充実させなくてはなりません。
 加えて世界各国間の流通が鈍り、石油、穀物をはじめ諸資材が高騰しインフレが加速しています。それを抑えるために欧米は金利を引き上げますが、コロナからの経済回復が弱く、大量の国債を発行している我が国にその選択肢は難しく、円安が加速し、ますます輸入物資が高騰し、輸入原材料に頼る産業のかつてない苦悩が絶えません。

 どうも750年以上前の鎌倉北条政権の末期に似ているような気もします。岸田総理が「物価・賃金・生活総合対策」を発表しましたが厳しい状況は長期化することを考えておかなくてはなりません。政府の懸命の経済対策は国民の皆さんには理解されているようですが、一方で旧統一教会等の問題などで厳しい見方も出ています。

 政権にとって緊急事態であることを共有しなくてはなりません。政権与党すべての人が謙虚に襟を正し、国民の皆さんの窮状を十分に考え現場を懸命に回る事。そして同じ境遇の中でいかに突破口を見つけるか、という努力を懸命にすることしか今の道はありません。