今年の追悼式はテレビで静かに

2020年08月15日

 例年なら、8月15日は熊本市の旧市民会館で熊本県戦没者追悼式があり、県選出国会議員をはじめ県下の議員、首長そして遺族の方々、また小中学生も参加して、県主催の追悼式がしめやかに行われるのですが、今年はコロナで中止になり、テレビで武道館から流れる映像を見て天皇陛下のお言葉を聴きました。

 8月15日は日本人の大人なら何らかの思いを持たなくてはなりません。一律に規定はしません。靖国神社に参拝する閣僚もあえて批判しません。それはそれで信念に基づいて参拝するのでしょう。反戦活動をする人も結構です。しかし、この日を無為に過ごすことだけはやめたいと思います。

 私は、なぜあの戦争が起きたのか、ほかに方法はなかったのか。途中で何とかならなかったのか。明治維新以来の政治体制で我が国に定められた宿命だったのか、など毎年違った本を読みいろいろと考えてみますが、すでに歴史となっていることなのでどう考えても空回りするだけであまり意味のあることではありません。

 ただ私なりに先の戦争を考えたとき、誤った選択と遂行をして310万人と言われる日本人の命を奪ってしまった過ちに、何らかのけじめはつけなくてはと考えます。もちろんアジアの皆さんに大変な迷惑もかけたということも考えなくてはなりませんが、これはまた別の問題として捉えます。そして東京裁判のように勝者の裁判ではなく、日本人の一人として判断したとき、はっきりとした審判を自分なりに下して、審判の根拠を持っておくことが大切です。そのことがこれからの平和な歴史づくりにつながると思っています。しかし今は、それをいかにも自分の正義として吹聴することはしません。主張しなければ大変なことになると思った時、大いに叫びます。今はその時期ではありません。

 8月15日、難しい日ですが、逃げてはいけないと常に考えています。