望月義夫先輩の死

2019年12月20日

 私の大学の先輩でもありました、元環境大臣の望月義夫衆議院議員が肝臓がんのため、昨日亡くなられました。72歳。明るく、ユーモアのあるキャラクターで誰からでも好かれる先輩でした。6年前、阿蘇が九州北部豪雨で大変な被害にあった時に、当時の谷垣禎一自民党幹事長に随行され、幹事長代理として、阿蘇の被害状況の視察に来ていただきました。
 その時、福岡の古賀誠先生から「うちの方の川もやられているんだけどなあ」という電話を携帯に受けると、その足で福岡の方に向かわれました。宏池会の事務総長として、オーナー的立場の古賀先生と宏池会出身の幹事長の間でうまくバランスをとっておられました。望月先生にしかできない役回りだと感じました。

 政治家が若くして去っていくのは寂しいものです。昨年はやはり12月に同僚の北川知克衆議員議員が67歳で、そして一昨年は木村太郎衆議院議員が52歳で亡くなられました。志半ばの死で、さぞや無念だったと思います。

 それぞれに共通していることは、郷土をこよなく愛しておられた、という事です。望月先生は静岡県清水市出身。自分のパーティーの時は静岡の海産物料理で溢れていました。「てっちゃん、一度清水に飲みに来いや。東京では食えない美味いものを食わせてやる」と言っておられましたが、とうとう行って、美味いものを食わせてもらう機会はありませんでした。北川先生は大阪の寝屋川市、いつも寝屋川のことを話されていました。「東京のオデンは食えん。あれはオデンじゃない。関東炊きだ」が口癖でした。木村先生は青森県南津軽郡出身で「敗北など何故いつも北という字は都合の悪い言葉ばかりに使われるんだ」と青森という北の人間らしく、「北」を使う熟語がマイナーな面に使われることに怒っておられました。
 
 政治家はやはり自分を育ててくれたふるさとが一番好きだし、そのために働くし、そして帰っていくものだとしみじみ思います。
                                                          合掌