参議院選挙終了、70年代学生運動を思い出す
2025年07月22日
参議院選挙が終わりました。熊本選挙区は皆さまのお陰で自民党の馬場成志さんが当選しましたが、自公連立政権、とりわけ自民党に対する国民のみなさまの審判は厳しいものでした。私たちは深く反省し、「目指すべきもの」「そのために変えるべきもの」などを深く考えそれを実行し、国民のみなさまに分かり易く訴えていかなくては、自民党は同じことを繰り返すことになります。それは日本の国の政治の混乱と迷走になると思っています。
【56年前、70年代の学生運動と酷似】
私は56年前の1969年に大学に入学しました。学生運動華やかりしころで、大学はロックアウト、入学試験は千葉県我孫子市にある大学で行われました。そして2年間は授業もなくレポート提出でした。
キャンパスでは学生運動をする各セクトが連日、マイクで国家や大学の体制批判をしていました。全国の大学がそうでした。各セクトは過激派もいれば政党の下部機関もありました。過激派は全学共闘会議(全共闘)を組織し全国的なうねりをつくっていました。各セクト同士は互いに争い、内ゲバも数多くありました。
しかし共通していたのは手段の差こそあれ「反体制・反権力思想」「アジ演説が上手い」「リーダーがかっこいい」という事でした。その弁舌と爽やかなイメージで、ノンポリの学生などの共感を集めていたように思います。
【今回の参議院選挙に当てはめると】
今回の参議院選挙、あの55年ほど前の情景を思い起こさせます。特に急伸した参政党、国民民主党のリーダーを見ていると、心に刺さる弁舌や若さ、士気を鼓舞するスタイルはまさにあの当時の学生運動のリーダーを彷彿とさせます。もちろん今回の政党のリーダーはあの当時のことは経験がないでしょうから、それを真似したものでないことは明らかです。
しかし、人心が流れるという事はそのようなリーダーの資質や言葉にあると改めて思いました。
【日本の置かれた状況は同じ】
あの当時の政治状況も現在と似ているように思います。高度成長真っただ中でした。「狂乱物価」と言われるほどの物価高騰でした。アメリカの原子力空母や原子力潜水艦の寄港に反対する運動も激しいものがありました。「アメリカの同盟国」という言葉も禁句の感がありました。公害問題もまだ至る所に残っていました。現在と違うのは日本は当時まだ若者世代が多かった時代である事。韓国をはじめとするアジアの国々がいずれも途上国で文字通り日本がアジアの盟主であったことです。給料もベースアップを含め驚くほど上昇していました。フランスを出発点とした学生運動は「スチューデントパワー」と呼ばれ、世界の潮流でした。思想的にはマルクスレーニン主義や毛沢東思想が学生に受け入れられていた時代です。「物価高騰」「反米」「日本の立ち位置」「世界でのナショナリズムの台頭」など現在の政治情勢と似たところがあります。
【これからの日本・世界】
我が国は当分は厳しい状況が続きます。物価高騰は日本だけでなく世界各国も同様です。人口減少や高齢化は社会保障費を増大させます。世界の紛争と対立は激しくなり、日本の防衛力は強化こそあれ、緩めることは出来ません。
この状況下で唯一やるべきことは経済の成長です。デジタル化、AI化、省エネ化、リスキリングと健康寿命づくりを進め、生産性の高い社会と国家をつくり上げていく道しかありません。そのための新たな投資が必要です。
農業界では私たちが「農業構造転換集中5か年計画」を作成し、通常の予算とは別枠で2兆5000億円を投入して、農業の生産性を飛躍的に引き上げる計画です。同様に経済産業、国土交通、厚生労働などの事業分野でも集中的な構造転換計画をつくる必要があります。10年後15年後に集中的投資を取り戻すなら、国を挙げて構造転換を図らなくてはなりません。
【学生運動のその後】
当時の学生運動はその後、下火になります。赤軍派のあまりにも非人間的な殺戮など国民からの反発を買いました。70年代の半ばには第1次オイルショックと第2次オイルショックで否応なしに省エネ化を強いられました。しかし、その省エネへの技術革新が功を奏し、その後の経済成長に繋がります。一方で土地投機や投資の行き過ぎなどバブルを迎えその後バブルは崩壊します。
歴史は繰り返す。しかし繰り返しながらも一つ一つ反省点を克服して進化していかなくてはなりません。これから私たち自民党も、過去に学び、未来に備えます。今回の選挙はその大きなヒントを与えてくれました。失敗はもう許されません。謙虚に懸命に学び実行し、よりよい日本を目指します。
【写真は熊本選挙区馬場成志さんの当選万歳】