農地は誰のもの

2023年02月18日


 16日(木)自民党本部で政調全体会議がありました。議題は農地に関する取引に関しての法案についてでした。
令和2年12月、当時私は国家戦略特区担当の大臣でした。国家戦略特区は農地の売買を特区として認め、5年間試行し、問題がなかったら全国展開をするという制度です。当時「規制改革推進会議」が農地の売買を自由にしようという提案をしました。このため特区となる希望自治体を募ったところ、兵庫県養父(やぶ)市が名乗り出ました。養父市の市長は鳥取大学の農学部を出た広瀬栄氏です。養父市の人口は約2万1000人。兵庫県の中山間地域で過疎化に悩まされていました。
平成26年(2014年)に国家戦略特区に指定され、農地の売買などに企業が参入することができるようになりました。その結果、特区指定以来の5年間で所有やリースで33.16ha(所有は1.65ha)の農地が移動しました。内容は酒米や花卉(かき)、にんにく、レタスなどの栽培です。その結果が成功だったのか、思うほど成果が上がらなかったのかは分かりません。

 そして、その結果を踏まえて令和2年の12月に官邸で「規制改革推進会議」と「国家戦略特区諮問会議」の合同会議が開かれたのです。総理も出席されました。「規制改革推進会議」側からは「問題がないなら直ちに全国展開すべきだ」という声が上がりました。一方農林水産省も出席していましたので農林水産大臣からは「農地の売買を自由にすることは慎重にすべき」という意見でした。
二つの意見は激しく衝突しました。結局出席されていた菅総理が「この問題は私が引き取る」と言われました。そこで私が「総理が引き取られましたので、今後様々な調査をしたうえで改めてご提示したい」と発言して収束しました。

 その後、内閣府と農林水産省が全国の自治体にアンケート調査を行い、賛否を尋ねました。調査の結果は「農地の売買については慎重にすべき」という反対意見が8割以上を占めました。
このため、内閣府、農林水産省は協議を重ね「農地売買に関する国家戦略特区の全国展開は行わない事にしたうえで、各自治体が希望すれば特区として『構造改革特区』にすることが可能」という結論を出しました。「構造改革特区」は「どぶろく特区」でお馴染みですが、法律では規制されているが、自治体が希望して国が認可すれば、その自治体だけ「特区」としてどぶろくを作ることが出来るというような規制緩和の制度です。

 そこで養父市を「国家戦略特区」から「構造改革特区」として、今後農地の売買について規制緩和を希望する自治体は構造改革特区として指定を受けることが出来る、という趣旨の法案を政調全体会に提案したという次第です。しかし、農業を展開する農業法人については株の51%を農業者が持っていなくてはなりません。そして農地が不適切に利用されたら、自治体がそのすべてを買い戻さなくてはならない、という条件が付いています。
簡単に農地は売買できないような仕組みになっています。

 政調全体会議では「ギリギリの妥協策でこの案に賛成する」という意見と「外国人が日本の農地を買いあさっている。アリの一穴になり反対である」という相反する意見が衝突しました。
結局、萩生田政調会長の判断で、さらに論議を重ねるという事で法案は持ち越しになりました。

【農地の歴史】
 農地は歴史的には年貢を生み出す「装置」でした。荘園制度、江戸期の石高米穀制度など事実上は貴族や大名の持ち物でした。江戸時代には「田畑永代売買禁止令」も出され、農地は国民の財産であるとして売買や移動は禁じられていました。
明治時代になり地租改正が行われ、それまでの米穀の年貢制度が金納になりました。このため生活に苦しむ農民は農地を売り、小作人となり農地の移動が始まりました。結果「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」というざれ唄が出回ったように、3000町歩の水田を持つ本間家など大地主が出現し、大土地所有制が生まれ、地主は都会に住む不在地主が増えました。そしてそれらは農業も含めて財閥とも結びつく結果となり引いては戦争を支える資本地主となっていきます。
このため敗戦後、アメリカGHQは不在地主を廃止し、すべての農家に1haから1.5ha(北海道は4ha)の農地を与え、農家全員が農地所有者の自作農になったのです。

【その後の農業】
 しかし食料生産が技術革新もあり急増しました。食料の輸入も進み、多彩な食生活になりました。日本の食文化の変化とともにコメの消費も減りました。同時に担い手となる農家は減少の一途です。特に中山間地は耕作放棄地が増え、平坦地域も担い手探しに苦労しています。
現在の担い手は、これまでの農業専業だけでなく、退職者や法人も含めた多様な担い手に頼るしかなくなっています。その中に移住者や農業以外の企業も含まれます。農業者の減少により相続が出来ない農地も増えました。そして農地を売りたいという農業者も増加しています。
しかし、農地はいったん農地以外に使用されたら、耕作地としての復元は難しいものがあります。そこで各市町村の農業委員会が農地の売買について審査をしています。一方、公的な農地の受け皿となる「農地中間管理機構」も創設されました。
農地をどう管理していくかは今後日本の国土を考えるうえで大きな課題です。農地は全国に400万ha存在します。

【今後の農地の管理について】
 昨年の国会で「農業経営基盤強化促進法」が改正されました。内容は、未来の農地の目標地図を作り、そこに担い手を当てはめていくという法律です。この4月から始まり令和7年までに作りあげなくてはなりません。問題はそこからはみ出した農地をどうしていくかです。公的な農地の受け皿である「農地中間管理機構」の役割も増えて来ます。
それでも耕作者が決まらない農地は、やはり他の用途で活用を図るか、中山間地は山林にするしかありません。土地利用と農地の大規模な整理統合、集約、集積がこれから実行されようとしています。各団体が協力して進めるべきです。

【外国人の農地取取得】
 外国資本の日本農地の取得が増えていると言われています。とりわけ中国資本の取得については警戒が必要です。アメリカ、ヨーロッパでも問題化しています。そこで西側諸国が中心となり農地の防衛策を打ち出す時が来たようです。WTО(世界貿易機関)の付属文書として作られているGATT(サービスの貿易に関する一般協定)という国際協定がありますが、今後、各国に呼び掛けて不動産やサービス部門の中の農地に限って改定していくことが大切です。難しい作業ですがGATTの運営機関であるWTOに訴え、同時に同志国と話し合うべきです。

【結論】
 今回の養父市の「国家戦略特区」を「構造改革特区」に切り替えることには賛成します。養父市の挑戦は尊重すべきです。そして、養父市以外にも、もし自治体で農地や不動産に関しての構造改革特区を要望するところがあれば、国の厳しい審査を前提として、それは認めるという事にすべきだと考えます。

 一方で農地の管理については農業の実態も変化してきました。十分な論議が必要です。そして外国資本の農地購入は国際的に日本が呼び掛けて改めて世界の問題、SDGsと絡めて論じるべきと考えます。

写真は私の自宅の近くに広がる農地、建物はカントリーエレベーター、向こうは阿蘇の山々