11.11  故園田博之先生の命日

2022年11月11日


 11月11日は私の政治の師匠でもある故園田博之先生の命日です。記者時代から個人的に園田先生に傾倒していました。平成3年に県議会議員に初当選した時も、私の選挙区は園田先生の選挙区とは全く関係がありませんでしたが、お祝いをしていただきました。

 平成5年(1993年)年、自民党を離党し故武村正義先生らと「新党さきがけ」を結成されました。私は県議会議員1期目でしたが、仲間3人と自民党を離党し「県議団さきがけ」を結成し県議会内で野党とともに「グループ太陽」という会派を立ち上げました。県議会議員選挙2期目は「さきがけ」公認で出馬し当選しました。

 細川護熙さん達が「日本新党」を結成されていましたので、園田先生の目標は「日本新党」といずれ合流し、自民党に対する保守政党をつくり、2大政党により良い意味で競い合い、切磋琢磨して日本の民主主義を守り、競争力をつけるという事でした。

 しかし、政治は思い描いたようにはいきません。日本新党とさきがけは結局合流することなく、「日本新党」の多くは野党へ、「さきがけ」は自民党、社会党と連携して、村山富市総理を誕生させ「自社さ」政権を立ち上げることになります。
 
 そのとき園田先生は官房副長官で、官邸に「県議団さきがけ」の仲間とお祝いに行ったときにもご馳走をしていただきました。国を動かす政治が楽しくて楽しくてたまらないといった様子で、まさに絶頂期でした。

 その後、自民党単独政権となり「さきがけ」は消滅しました。私たち「さきがけ県議団」は自民党へ復党させていただくことになりました。
園田先生はその後も2大政党を夢見て「たちあがれ日本」「太陽の党」などをつくり政治活動をされていきます。しかし、新たな政党を立ち上げても「さきがけをつくった時のようなワクワク感はないなあ」と言っておられ、「さきがけ」が園田先生にとっては唯一理想の政党であったようです。

 東京の慈恵病院に入院されてから、月に何回かはお見舞いと激励に行きました。「まだ死にはしないから大丈夫。声がかすれているがいずれ美声が戻るから」と明るく振舞っておられましたが、平成30年(2018年)、11月11日の朝、当時の園田先生の秘書が泣きながら、電話で「逝去」を知らせて来ました。現在その秘書は私の秘書として、定数削減により私の選挙区になった、かつて園田先生の選挙区を担当しています。

 自らの理想を追い求めた政治家でした。人間的に魅力にあふれ、これまで命日には与野党、メディアの人たちが集まり「偲ぶ会」を開いていました。
 
 コロナでここ2年ほどは開催していませんが、いずれ縁ある方々と共に集い、思い出を語り合いたいと思います。合掌