8月15日をどう過ごす

2022年08月16日

 8月15日はお盆と同時に、日本が第2次世界大戦で連合国に無条件降伏をした終戦記念日です。両方とも私たちにとって大きな意味を持つ大切な日です。

 私の集落でのお盆は、以前は暗くなるとみんなでお墓に行っていました。集落のほとんどの方々がお墓を訪れお参りをして、近くの河原と橋では私たち子どもが花火をして大変賑やかな15日の夜でした。
 現在は納骨堂が出来、皆さん昼間にお参りをされて夜はひっそりとしています。以前に比べると静かで寂しいお盆です。少子化と高齢化が進んでいることを思い知らされます。

 一方終戦の日では公式行事があり、テレビ・新聞でも戦争についての報道がありますので、ゆっくりと日本の国柄と戦争、これからの行方について考える日にもなります。

 この日は午前9時半から、熊本県護国神社で平和の祈念式典がありましたので出席しました。私も含め県選出の3人の衆議院議員が出席しました。そのあと本来なら、熊本城ホールで県が主催する戦没者追悼式が、全国の追悼式に合わせて行われるのですが、コロナで今年も中止となりました。

 護国神社の後は実家に帰り、仏壇にお参りした後、夕方からジョギング。久々に県運動公園を走り7㎞。

 夜はNHKのインパール作戦とビルマの特集を見ました。特に娘がミャンマーの日本人学校に教師として赴任しているため、娘からもNHKの特集を外務省の書記官に招かれて見るというメールが来ましたので、現在のミャンマー、当時のビルマでインドのイギリス軍に対して展開された無謀なインパール作戦の内容を少しアドバイスしておきました。

 NHKは3回にわたって「1942年」という節目の特集をしました。1941年12月8日の真珠湾攻撃によって華々しい戦果を挙げた日本はその後2カ月の間にシンガポールやフィリピンを陥落させ破竹の勢いでしたが、アメリカが軍の立て直しをすると、南太平洋のガダルカナル、北太平洋のミッドウェー海戦、そして当時のビルマのインパール作戦とその後のビルマ戦争で惨敗を喫します。「1942年」はすでに敗戦に向かった節目の年でした。

 まさに日本の勢いは一瞬であり、その後1945年8月の終戦まで負け続けます。それでも次々に兵士を戦場に送り結局200万人以上の兵士を亡くさせ、最後は東京をはじめとする200地域の空襲、そして広島、長崎の原爆投下と続き最終的に市民も加えた310万人の犠牲者を生み出し、15日の無条件降伏になります。

 戦争についてはいろいろな考え方があります。また靖国参拝についても様々な考え方がありそれはそれで受け入れます。
 しかし、結果論かもしれないけれど物量で圧倒的な劣勢が分かっていながら戦争に突入させた政治的・軍事的指導者、そして一般の兵士の命を軽んじて考えていた軍幹部たち、それに陸軍と海軍のメンツの問題により判断ができなかった事の責任などは永遠に残ります。なかなか許されるものではありません。

 とりわけインパール作戦の無謀さ、その後の指揮官一人による誤った判断、さらに幹部は最前線から逃避し、隣のタイに逃げていた事実、ガダルカナル島では海軍・陸軍のメンツの争いで退却の判断ができず、多くの兵士が戦いでなく、飢餓とマラリアなど伝染病でその命をおとしたことなど、考えれば考えるほど腹立たしくもなります。おまけに指導者は何ら責任を取っていません。
 秀才の集まりであった士官学校などで、戦争と兵士の命について何を教えていたのだろうとさえ思います。

 しかしそれもこれも日本として日本人が展開したことです。すべては日本そのものに敗戦の責任があります。
 15日はそのようなことを考えながら、2度と過ちは起こさない、戦争は避ける、そんなことに思いを致す一日でした。