天人 深代惇郎

2018年01月29日

 インドネシアに行く時に機内で読むために3冊の本を買いました。今売れっ子歴史学者磯田道史著の「日本史の内幕」(中公新書)、自民党に近現代史を学ぶ議員連盟がありますが、その顧問でもある東京大学大学院教授を務められた山内昌之先生とこれも売れっ子マルチ人間で元外務省分析官の佐藤優の対談「大日本史」(文春新書)、そしてノンフィクション作家後藤正治著の「天人 深代惇郎と新聞の時代」(講談社文庫)です。
 前2冊はジャカルタ往復で読みましたが、「天人」は読みきれず、週末、熊本までの機内で読みました。本当に印象に残る良い本でした。
 朝日新聞記者で「天声人語」の執筆者だった深代惇郎氏は私たちが学生時代の憧れの執筆者でした。今のようにインターネットがなかった時代、やはり第1次情報源は新聞であり、教養源も新聞でした。その中で特に深代惇郎の文章は「なぜこれほど、奥行きが深くて流麗な文章が書けるのだろう。天才ではないか」と若さに任せての「思い入れ」があったころです。
 1950年代の朝日新聞のスター記者だった扇谷正造の「新聞記者入門」を呼んで面白いと思い、学生時代、同じ朝日新聞記者で辛らつな体制批判をするやはりスター記者本多勝一の探検、戦争ものの著書を読んでは血湧き肉躍らせ、このような世界で働きたいと思ったものです。一方、深代惇郎の文章を読むととてもこの域には及ばないだろうが、この人の文章を読むだけで、心が洗われ、穏やかになり、何か教養人になったような気にもなったものです。
 私が記者になりたての昭和50年12月、46歳の若さで血液の癌のために亡くなりますが、早逝だったが故に長く心に残る人物でした。それがこの度、40年余の時を経て、文庫本でその人となりが甦りました。
 読み終えて改めて天才肌だったと思います。教養の深さ、洞察力の鋭さ、物静かな人物像の中に秘められた揺るがぬ信念と闘志などが改めて伝わってきて、私の若い頃の「思い入れ」が間違いではなかったことを教えてくれました。
 閣議の模様を、録音したテープが手に入ったという設定で、架空閣議の中で交わされる各省庁の思惑やエゴや欲望を皮肉っぽく書いた天声人語がありました。「大きな声では言えないが」という書き出しで始まる天声人語です。しかし時の内閣はこの文章を本気にとって、二階堂進官房長官が新聞社に厳重に抗議をする、という「事件」がありました。これに対して深代は▼政府が迷惑をこうむったと言うなら申し訳ないことだが、冗談が事実無根であることを確認するには、やはり「あの冗談は冗談でした」というほかはない▼という天声人語で返しています。もちろんこの時▼「抗議が架空申し入れ」でないことを念のためにお断りしておきたい▼とも書き、一太刀浴びせています。
 今の安倍内閣だったらこのような場合にどうするだろうと思いながら読みました。
 政治とジャーナリズムは違います。政治は決断だし、結果責任であるし、集団を引っ張って行く力がなくてはなりません。更には国家として相手国があり、また国益とインタナショナルな平和論や権益は一致しないという難しさもあります。論理や考え方が単純であるほうが受け入れられやすい、という面があります。
 しかし、その方向性が間違っていたら指摘し、国民が正確な判断をするのに、必要なより多くの情報を提供するのがジャーナリズムでもあります。
 それでも、「天人 深代惇郎」を読みながら、政治家としての教養と洞察力の鋭さ、考え方の奥深さは必要欠くべからざるものと改めて感じました。